2006年12月14日

風の歌を聴きながら  第四話

           1

 
新幹線の発車時刻には、まだ、ほんの少し時間があった。
彼はホームで彼女の荷物を持ち、ただ黙っていた。
何を話したらいいのか、わからなかった。

彼女も同じだった。ただ黙って、彼の傍らに立っていた。

発車の時刻を報せるアナウンスがはいると、彼女は言った。
「じゃあ、行くね」
精一杯の笑顔をつくった。
その笑顔に応えるように、彼もまた、笑顔を見せ頷いた。


           2


内田大は、何度もその手紙を読みかえした。

〈お久しぶりです。お元気ですか。
この手紙は、あなたのもとへ届くのでしょうか。
あなたは、あの街に今も暮らしているのですか。
どうしているのでしょうか。

どうしても、あなたに報せたい事があり
この手紙を書いています。
あなたのもとへ、この手紙が届くことを願いながら。

今もライブハウスで歌っていますか。
あなたは
自分の作った歌をいつも一番に聴かせてくれましたね。
私は、あなたの歌が大好きでした。
時々、あなたの歌を口ずさんでいる自分がいます。
もう、何年も経つのにね。

オートバイには乗っていますか。
いつも一人で出かけて、いつも私は独りぼっち。
平気な顔はしていたけれど、本当は寂しかった。
でも時々、後ろに乗せてくれましたね。
あのときの風の感覚、今も思い出します。

私が田舎に帰って間もない頃、何度か電話をくれましたね。
何を言っていいのかわからず、あまり話ができなくて…
それきりになってしまって。ごめんなさい。

先日、部屋の片付けをしました。
アルバムの中に、あなたの笑顔を見つけました。
どの写真を見ても、あなたの隣で私も笑っていました。

そして〈あなたに報せなければ〉と思ったのです。

結婚します。

だから、この何枚かの写真を私は捨てます。許してください。
あなたとの思い出は、形としてでなく
私の心の中だけに残しておこうと思います。

あなたとすごした街に
私の親戚が居るのは知っていましたよね。
結婚してしまうと、なかなか表に出ることが出来なくなるので
結婚前に一度遊びに行くことになりました。

あの街を歩けば、きっと、あなたのことを思い出すのでしょうね。

あなたが、まだ、あの街で暮らしているのなら
偶然どこかで逢えるかもしれませんね。
もし逢えたなら
その時は「おめでとう。幸福になれよ」と言ってくださいね。

では、いつまでもお元気で。   さようなら。〉

佐藤百合からの手紙だった。


           3


互いに、嫌いになって別れた訳ではなかった。

大は、プロになれることを信じて音楽をやり続けていた。
百合は、平凡でもいい、普通の幸福を望んだ。

そんな暮らしの中で、百合は疲れ、傷ついた。
それでも、大は音楽をやめようとはしなかった。
そして百合は、決心した。

「私、田舎に帰ろうと思う。」
大は、いつかこんな日が来るとは思っていた。
引き止めることも出来ずに、ただ
「そうか」
それしか言うことが出来なかった。

そしてその年の夏、見送ってくれた大をホームに残し
百合は新幹線に乗り込んだ。

その時、若い二人には〈これで終わった〉とは思えなかった。
距離というものが、時間という空白が
何かを変えてしまうということを知るまでは。


           4


東京へ向かう新幹線に揺られ、百合は一人思っていた。
〈彼は、私にすぐに気付くだろうか。
四年の歳月の中で、私は変わっただろうか。
彼は、変わっただろうか〉。

改札を出ると、大の笑顔があった。
あの頃と何も変わらない、子供のような笑顔だった。
そして何よりも、すぐに百合に気付いた大が嬉しかった。

二人は、駅ビルの中のコーヒーショップに入った。
大はコーヒーを、百合はミルクティーを注文した。

「電話、ありがとう」
大は、百合の言葉に笑顔で応えた。
「でも、驚いた」
大は、笑顔のまま頷き言った。
「逢いたくなった。手紙を読んだら、どうしても逢いたくなった」
「うん」
「結婚すると知ったら、百合を誰かに取られたような気がした」
大はそう言うと、自分自身に呆れたように続けた。
「百合は俺のものでも、誰のものでもないのにな。
それに、別れた男が思うようなことじゃない」
百合は悪戯に、でも優しく微笑んで言った。
「惜しくなった?」
大は笑い、うつむいた。

「歌は唄っているの?」
「ああ、唄ってるよ。なんの進歩もないけどな」
「そう」
「オートバイにも乗ってる」
「風の歌を聴きながら?」
「えっ?」
「あなた、いつも言ってたでしょ。
風はいつも歌を唄ってる。ただ、普段は聞こえないんだ。
でもね、オートバイに乗るとそれが聞こえる。
だから俺はオートバイに乗るんだって」
「そんなキザなこと言ったかなぁ」
「言ったわ」
「そうか」
「そうよ。でも、何度かオートバイに乗せてくれたでしょ。
あの時、わかったような気がした」
「風の歌が聴こえた?」
「ん〜」
百合は微笑み、首を傾げた。
大は笑った。

「今も聴こえる?風の歌」
「ああ」
「良かった」
「何が?」
「風の歌が聴こえるなんていう人、そうはいないでしょ。
でも、あなたには今も聴こえる。あの頃と変わらずに」
「そうだな。俺は何も変わってない。
少しは大人になんなきゃいけないのに
あいも変わらずガキのままだ」
百合は微笑んで首を振った。
「それがあなたのいい所…
私は逃げ出しちゃったけれど…ごめんね。でも・・・」
百合は、真顔に戻ると続けた。
「すぐに迎えに来てくれると思ってた。
帰って間もない頃、何度か電話をくれたでしょ。
いつも、期待してた。
いつ言ってくれるのかな、いつ言ってくれるのかなって
いつも思ってた。でも結局、言ってくれなかったね」
大はうつむき、自分を責めた。
一緒にいた時ばかりじゃなく
離れてまでも彼女を傷つけていたのかと思った。

「やめちまえよ」
思わず、口に出てしまった。
「えっ?」
「結婚。…やめちまえよ」
百合は哀しげに微笑み、うつむき、首を振った。
「もう遅いよ」
そんなことは、大にもわかっていた。無理は承知だった。
「俺がいるだろ」
何故そんなことを言うのか、自分でもわからなかった。
〈やっぱり俺は、ガキのままだ〉と思った。
「もっと早く聞きたかった」
二人はそれきり、しばらく黙っていた。

「いつ帰るの?」
「あした。今日親戚の家に一泊して、あした帰る」
「そうか」
大は、少し考えてから続けた。
「送らせてくれないかな、最後にもう一度。
あの夏の日、俺は最後だとは思えなかった。
また逢えると思った。そして実際、こうして逢えた。
でも、もう逢えないだろ。だから」
百合はただ、頷いた。


           5


四年前と同じだった。
ただ違うのは、これで最後だということだけだった。

大から荷物を受け取ると、百合は大に背を向け歩き始めた。

四年前とは違っていた。
四年前は、涙なんか出てこなかった。
また逢えると思っていた。
〈本当に、さよならなんだ〉と思った。
〈もう二度と逢うこともないんだ〉と思った。
涙が溢れた。振り向くことができなかった。
〈さよならも言ってないのに〉と思った。
でも、涙は見せたくなかった。

百合は新幹線に乗り込むと、デッキで涙を拭いた。
そして指定された番号へ行き、席についた。
窓の向こうで、大が佇んでいた。
ただじっと、百合を見つめていた。
百合は、大の顔を見ることができなかった。
顔を見れば、今度は泣き出してしまうだろう。

ドアが閉まり新幹線が動き出すと
窓を叩く音に百合は顔をあげた。

大が微笑んで、何かを言っていた。
声は聞こえないが、口の動きで理解できた。
百合はその言葉に微笑み何度も頷いた。
もう、涙をとめることはできなかった。

新幹線の中で、百合は泣き続けた。
そして心の中で、何度も「ありがとう」と呟いた。
大の最後の言葉に。

おめでとう、幸福になれよ

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2006年07月31日

風の歌を聴きながら 第三話

           1

 彼女は路肩にチェロキーを停めると、メンソールに火をつけた。
ドライバーズシートから降りると、チェロキーのまわりを廻った。
彼女は、パンクしたタイヤを蹴飛ばし
両手を腰に当て溜息をついた。
 一台のオートバイが、チェロキーを通り過ぎて行った。
彼女はそのオートバイを、みるともなく見ていた。
オートバイは二十メートルほど先でUターンをし
彼女とは反対側の路肩にオートバイを停めた。
ヘルメットをとった彼は、やわらかい表情で彼女に歩み寄った。
冴えない表情の彼女に,彼は言った。
「どうしたんすかぁ?」
彼女は両手を広げ、肩をすぼめて
パンクしたタイヤに視線を移した。
彼は、その視線の先を見た。
「パンクですかぁ…俺がやりますよ」
「えっ、でも」
彼女が言いかけると、彼は続けた。
「汚れますから。こういうのは、男の仕事って決まってるんです」
彼の笑顔に、彼女も笑った。

           2

 十二階建てのマンション。
田島その子の部屋は、その八階にあった。
地下の駐車場には、彼女のチェロキーが止まっていた。
このマンションから彼女の勤める都心のオフィスまで
電車を使って三十分ほどだ。
彼女は、通勤に車を使わない。何分かかるかわからないからだ。
一度、渋滞にはまって大変な思いをした。
だから彼女は、それ以来電車を使っていた。
 七時〇五分。その子は、いつものように目を覚ました。
目覚ましは必要なかった。
〈七時〇五分になると目が覚める〉そういう身体になっていた。
部屋のカーテンを開け、コーヒーをいれてソファに座った。
メンソールに火をつけ、窓の外に目を向けた。
青空がひろがっていた。
ポッカリと浮かぶ、白い雲を見つめた。
彼女はメンソールを揉み消した。

 その子は、駅のホームで電車を待った。
ホームは人であふれていた。
どの顔も同じに見えた。
電車が到着すると、ドアが開いた。
そのドアの中へ、人の群れがなだれ込んでいくのを
彼女は見ていた。
踵を返す彼女の心に、青空の中の白い雲がポッカリ浮かんだ。

 部屋の戻ったその子は、チェロキーのKEYを手にし
マンションの地下へ向かった。
 チェロキーに乗り込み、スターターを回した。
静かにエンジンが始動した。
 その子はメンソールを吸いながら、会社への言い訳を考えた。
病気だということにすればいい。〈具合が悪い〉と言おう。
結論は簡単に出た。まんざら嘘でもないと思った。
ホームで人込みの中にいたとき、電車になだれ込む人波を見たとき
本当に〈心の具合〉が悪くなったのだから。

その子はメンソールを吸い終えると、チェロキーを発進させた。

           3

 内田大は、オートバイを走らせていた。
走り慣れた、いつものコースだった。
いろいろな場所へ行ったが
このコースがオートバイで走ることの喜びを感じることのできる
ベストの日帰りコースだった。
高速を抜け、海岸線を走り、ワインディングに入る。
ワインディングから海岸線に出ることもできる
ふた通りのアプローチのしかたがあった。
所々でオートバイを停めると、違う空気を感じることができた。
そんなとき、いつも彼は〈オートバイに乗っていて良かった〉と思った。

 右手に海を見ながら、大はオートバイを走らせた。
反対車線の路肩に停まった、チェロキーが目に映った。
チェロキーに前では、キッチリとスーツを着た女性が海を見ていた。
そして彼女は、両手をいっぱいに広げ空を仰いだ。
大にはそれが、鳥籠から開放された鳥のように見えた。
大は訳もなく、嬉しかった。

 海岸線のコンビニエンスストアーに、大はオートバイを停めた。
ヘルメットを外し、地べたに腰を下ろした。
日差しが暖かかった。潮の香りがした。
大はしばらく、その場にじっとしていた。

 スカイラインに入ると、大は長い上り坂でスピードを上げた。
幾つものコーナーを、気持ち良く走り抜けた。
 この道には、ビューポイントと称される場所が
いくつも設けられている。
大はその一ツ、湖の見渡せる場所へ向かった。
 小さな駐車場にチェロキーが止まっていた。
その隣に、大はオートバイを停めた。
駐車場から続く階段を昇って行くと、湖が見渡せる。
大は、階段を昇っていった。
スーツ姿の女性とすれ違った。海を見ていた彼女だった。
彼女は、微笑んでいた。
それは誰に対するものでもなく、自分自身へのものだった。
大は振り返り、彼女を見送った。

 スカイラインの終点で、大はUターンした。
このての道は、行きと帰りとではまるで違う表情を見せる。
それを楽しむためだった。

 コーナーを抜けると、長い直線が続いた。
路肩に一台の車が止まっているのが目に入った。
脇には、人が立っていた。
近ずくにつれ
それがチェロキーの彼女だということはすぐにわかった。
通り過ぎる瞬間、大は彼女と目があったような気がした。
実際、大はヘルメットにスモークシールドを付けているため
相手から顔が見えるということはないのだが。

           4

 「終わりましたよ」
大が言うと
「ありがとう」
そう言って、その子はサイドシートから
ミネラルウォーターのペットボトルを持ってきた。
大はペットボトルを受け取り、ミネラルウォーターを口にした。
「左ハンドルなんですねぇ」
「ええ」
その子は微笑んだ。
「せっかく左ハンドルの国から来た車なのだから
絶対に右ハンドルには乗りたくなかったの。
右ハンドルに乗るのなら、国産の車に乗ってるわ。
でも、この車に乗りたかったの。形が好きだから。
それに、ガソリンエンジンだし」
大は笑った。
「同じだ」
「えっ?」
「俺も同じ事を思ってました。
外車なのに、何で右ハンドルなのかってね」
その子も笑った。

 「本当に助かりました」
「いいえ」
「きっとバチがあたったんです。
みんな働いてるのに、ズル休みしてしまったから」
「そうだと思いました」
「えっ?」
「ただドライブするのに、その格好はないですからね」
その子は、自分の服装を見て笑った。
「でも、バチなんかじゃありませんよ。
そんなこと言ったら俺なんか大変だ。
年中オートバイに乗ってる。
ろくな事してないんですから」
「ありがとう。でも、バチだろうが、ズルでも何でも
今日は休んで良かったと思ってるの。何かスッキリしたから」
その子は、大きく伸びをして見せた。

 「じゃあ、そろそろ」
大は言った。
「そうですね。じゃあそれ、私が捨てておきます。
オートバイでは邪魔でしょ」
その子は、大から空のペットボトルを受け取った。
最後にもう一度
「ありがとう」
そう言って、その子はチェロキーに乗り込んだ。
 大はオートバイに戻ると、セルを回した。
すぐにエンジンはかかった。
クラクションに振り向くと
その子が車内から手を振りチェロキーを発進させた。
大はヘルメットをつけ、グローブをはめ、オートバイを出した。
きれいにUターンをし、加速した。
 すぐにチェロキーに追いついた。
大は、チェロキーの前にオートバイをだした。
バックミラーに、その子の笑顔が見えた。
大は左手を軽く上げ、アクセルをひねった。
その子は軽くクラクションを鳴らし、遠ざかる後姿を見送った。
お互いに、名前さえも知らないままだった。

 その子は,晴れ晴れとしたきもちでメンソールに火をつけ
チェロキーの窓を開けた。風が心地好かった。
いつのまにか、病気は治っていた。

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2006年07月11日

風の歌を聴きながら 第二話

           1

 山林に囲まれたワインディングロード。
彼は路肩に設けられた小さなスペースにオートバイを停めると、サイドスタンドを蹴りだした。
毎年この日が来ると、必ずこの場所へやってくる。
彼はヘルメットをつけたまま、しばらく路面を見つめていた。

           2

 内田大が二輪の免許を取ったのは、二十歳を過ぎてからだった。
十六歳の時、オートバイに乗りたいと思ったが、両親に反対されたのだ。〈事故を起こした時、自分で責任を取れない〉という理由からだった。
そんな時知り合ったのが、同じ高校に通う小林和也だった。
教室で大がオートバイ雑誌を見ていると、後ろから声がした。振り向くと、小林だった。
「……」
「バイク、乗るの?」
遠慮がちな笑顔だった。
「あぁこれ?。乗りたいけど、親がなぁ」
「ダメだって?」
「そういうこと」
そのとき初めて、大と小林は口をきいた。
小林は、中型二輪免許を取得したばかりだということ、オートバイを買うためにアルバイトをしているということを話した。
大には、羨ましかった。
「免許がなくても、バイクには乗れるぜ」
小林が言った。
「えっ?」
大が不思議そうな顔をしていると、小林は続けた。
「バイクさえあれば、いつでも乗れるだろぅ」
小林の悪戯な笑顔に、大も同意した。

 毎週日曜日。大と小林は、高田馬場へ出かけて行った。
早朝の公園。ただ待っていれば、声をかけられた。
オンボロのバンに乗せられて、現場に着くと言われた事をやればいい。日雇い労働だった。
履歴書もいらなければ、身分証もいらない。仕事が終われば、その場で現金が貰えた。高校生の二人には、都合も良ければ、金額もよかった。

 数ヵ月後、二人は中古のオートバイを手に入れた。
HONDAの四〇〇ccだった。

           3

 HONDAを手に入れた大と小林は、休日の度に何処かへ出かけた。時には、学校をサボる事もあった。
広い駐車場を見つけては、免許のない大に小林は教習所の教官のように丁寧に教えた。
そんなある日、小林が言った。
「だいぶ上手くなったじゃん」
「先生がいいからな」
「よし。じゃあ今度の日曜、卒検だ」
真面目な顔に重い声で小林は言った。
「はい」
大も真面目に答えた。
二人は笑った。
 その日、大はHONDAの後ろに小林を乗せ、帰り道を走った。
家の近くでHONDAを停め、小林にかわった。
「じゃあ明日」
「おお、じゃあな」
大は小林を見送った。

 あくる日、大が学校へ行くと小林の姿はなかった。
〈あの遅刻野朗め〉大は思った。よく遅刻する小林は、二・三時間目になると、ひょっこり顔をだした。そしていつも、とぼけた笑顔を見せた。その笑顔を、大は思い出していた。
しかしその日、小林の姿を見ることはなかった。

           4

 「大。大。起きて」
母親の声がした。しかし、いつもとは違っていた。いつもなら、こうくる筈だ。
「いつまで寝てるの。早く起きなさい。何時だと思ってるの」
〈何かあったんだ〉大は思った。
「どうしたの?」
ベッドの中で、大は言った。
「小林君が亡くなったって…」
「えっ?」
少し間があった。
「えっ?」
大は、もう一度言った。
「小林君が亡くなったって…。オートバイの事故だって…。今、小林君のお母さんから電話で」
大は動けなかった。あとは、母親が何を言ったかも憶えていない。
信じられなかった。それよりも何よりも、夢だと思った。
しかし、目が覚めることはなかった。〈何だ、夢だったのか〉そう思えることは何もなかった。現実なんだと思った。それでも、実感はなかった。
 その日、大は学校を休んだ。一日中、部屋の中にいた。父親も母親も、何も言わなかった。

 次の日も、大は学校を休んだ。
小林の家へ行った。
小林の母親は、中へ入るように勧めてくれたが、大は断った。
玄関先で話をした。大にとって、事故の状況などはどうでもいいことだった。ただ、その現場が知りたかった。
話し終えると、大は一礼して歩き出した。
「内田君」
大は振り向いた。
「ありがとう」
唇が震えていた。
大は、もう一度頭を下げると歩き出した。

           5

 電車を乗り継ぎバスに乗り、しばらく歩くとそこはあった。
山と林に囲まれた、ブラインドカーブだった。
路肩に設けられた小さなスペースに、ボロボロのHONDAが放置されていた。路面には、飛び散った破片が残っていた。アスファルトが染みていた。
呆然とした。身体が震えた。
「…何だよ、こりゃ…」
涙が溢れた。
「…じゃあ明日って言ったじゃねえかよぉ…」
声が震えた。
「…卒検はよぉ。約束したじゃねえかよぉ…」
大は、声をだして泣いた。

           6

 路面を見つめ、大は考えていた。今日で何度目になるのか。
十八歳になって、車の免許を取った。それからこの場所には車で来ていた。オートバイで来るのは、今日が初めてだった。
 大はヘルメットをとると、歩きながら二本のラッキーストライクに火をつけた。そして、一本を路面に置いた。
「またオートバイに乗り始めた」
大は、それだけを言葉にした。
小林のとぼけた笑顔がうかんだ。
 大はラッキーストライクを吸い終わると、路面に落として踏み消した。路面に置いたもう一本も、同じようにして消した。
「また来るわ」
オートバイに向かって歩いていくと、風が吹いた。
振り向くと、二本の吸殻が、風に吹き飛ばされた。
 大はヘルメットをつけ、グローブをはめ、エンジンをかけた。
もう一度、振り向いた。
穏やかな日差しが優しかった。
「じゃあな」
大は微笑み、クラッチを繋いだ。

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2006年07月09日

風の歌を聴きながら 第一話

           1

 十一月の末
日の暮れた東名高速を、ただひたすらにオートバイが走る。
ヘルメットの中で、彼は笑っていた。バカな自分が嬉しかった。
皮ジャンの内ポケットに入れた、冷めてしまった缶コーヒーに温もりを感じた。
オートバイ乗りであることを実感した。
そうしたい。ただ、そうしたい。それだけのことだった。

           2

 彼女と出会ったのは、乗鞍スカイラインを上っていった畳平の駐車場だった。
内田大はヘルメットをとると、友人である宮本一博を待った。
宮本は、大の隣にオートバイを停めるとヘルメットをとった。
「気持ちいいっすねぇ」
「天気もいいし、最高だな」
五メートルほど離れた場所で、女の子が一人
オートバイのヘルメットホルダーにヘルメットを取り付けていた。
彼女は二人に視線を移すと、かるく微笑み、ちいさく会釈した。
大は、彼女に近寄った。
「こんちは」
彼女の微笑みは、笑顔へと変わった。

 畳平の駐車場から続く遊歩道を歩いた。
十月の乗鞍岳。雪がある。ところどころ土が見えているが、じきに雪に埋もれていくだろう。その頃には、乗鞍スカイラインも通行止になる。
 「免許を取って一週間。日本一の紅葉が観たくて、広島からここまで走ってきちゃった。なんの予定もたててないし、ちょっと無謀だったかな。左手だって、クラッチも握れないくらい痛くてしょうがないし…」
彼女は二人に、笑いながらそう話してくれた。気持ちのいい、素敵な笑顔だった。

 スカイラインを下った所に、駐車場と土産物屋があった。土産物屋には軽食があり、そこで三人は食事をした。そして、住所を交換した。松下友恵。それが彼女の名前だった。
 彼女はオートバイに跨り
「穂高へ行く」
そう言ってオートバイを発進させた。
大と宮本には、ほんの小さな思い出と、宮本のカメラに収められた数枚の写真が残った。

 大は、焚き火の炎を調整していた。宮本は、料理担当だった。
焚き火を見つめ、肉を喰らい、酒を飲みながら、二人は彼女の話をした。
そして、彼女の女ながらの勇気と逞しさに乾杯した。

           3

 待ち合わせのコーヒーショップのドアを開けると、大は宮本の笑顔に迎えられた。
大は、席に着きアイスコーヒーを注文した。
 「けっこう良く撮れてますよ」
数枚の写真を差し出しながら、宮本は言った。
大は写真の中の、松下友恵の笑顔を見ながら言った。
「彼女には送ったのか?」
「まだです。送ろうとは思ってるんですけど、写真だけってわけにいかないでしょ。やっぱ、手紙とかも添えないとまずいでしょうし。何を書いたらいいか、わかんないんすよね」
宮本の答えに、大はしばらく黙った。
心の中で、何かがはじけた。
「…俺が渡すよ」
「えっ」
「行ってくる」
「行くって…広島ですかぁ」
大は、笑顔で答えた。
「マジですかぁ」
そう言いながら宮本は、〈オートバイ乗りなら、それが解る〉という笑顔を見せた。

           4              

 その住所を探すのは、さほど難しいことではなかった。
瀬戸内の海に囲まれた、小さな島。穏やかな時の流れを感じた。
 公衆電話で、大は初めての番号をプッシュした。数回の呼び出し音で、受話器が上がった。
「はい、松下です」
若い女性の声だった。
「内田といいますが、友恵さんはいらっしゃいますか」
少し間があった。受話器越しに、驚きが伝わってきた。
「私です」
「憶えてますか。内田です」
「えっ、はい」
「良かった。実は今、近くにいるんだけど出てこれないかな」
「え〜、そうなんですかぁ?…何で?…本当にぃ?」
何が起きたのか、まるで解らないようだった。
「渡したい物があるんだ」
「近くって、どこですか?」
「タバコ屋の前の公衆電話」
「すぐに行きます」
「それだけでわかるの?」
「家の近所にタバコ屋は、そこしか在りませんから。すぐ行きますね」
受話器が置かれた。
 大は、ラッキーストライクに火をつけた。煙を肺の中いっぱいに吸い込むと、東京からオートバイに乗り続けた疲れが消えていくような気がした。

 「ビックリしちゃったぁ。どうしたんですか?」
彼女は息を切らしていた。走ってきたのだろう。
「驚かせてゴメン」
大は笑った。
「ツーリングですか?」
「えっ、ん〜」
大は、少し考えてから答えた。
「ツーリングといえばツーリングかな。ただ、日帰りなんだ。これを渡したらすぐ帰る」
大は内ポケットから、数枚の写真を出して渡した。
彼女は写真を見ると、すぐに大に視線を戻した。
「どうゆうことですか?」
「写真を持ってきただけ」
「この為にわざわざ?」
「わざわざでもないさ」
「送ってくれればいいのに」
「それじゃあつまんないし、直接渡したかったから」
彼女は戸惑いの表情を見せたが、やがて母親のような優しい微笑に変わった。
「ありがとう」
「へへ」
大は、子供のような照れ笑いをした。
「本当にすぐ帰っちゃうの?」
「うん」
大は頷き、こう続けた。
「オートバイ乗りなんて、そんなもんさ」
彼女は笑った。あの日と同じ、気持ちのいい、素敵な笑顔だった。
 大はオートバイに跨りセルスターターを押した。エンジンが唸った。
「待ってて」
彼女はそう言うと、走り出した。
大がヘルメットをつけていると、彼女は戻ってきた。
「気をつけて」
暖かい缶コーヒーを大に手渡した。
「ありがとう」
大はその缶コーヒーを、写真を入れていた内ポケットに入れるとオートバイを発進させた。
 バックミラーに映る彼女は、いつまでもそこに立っていた。

           5            

 ヘッドライトが引き裂く闇に向かって、大はオートバイを走らせ続けた。
身体は疲れ、寒さに凍えても、心は高揚していた。
〈オートバイ乗りなんて、そんなもんさ〉
大の言葉に笑った、彼女の笑顔を思い出した。
バックミラーの中で見送る、彼女の姿を思い出した。
大は、自分の行為に満足した。

 「ありがとう」
大は、ヘルメットの中で呟いた。
皮ジャンの内ポケットの、数枚の写真と引き換えに手に入れた彼女の優しさ。
「ありがとう」
もう一度呟くと、アクセルを開けスピードを上げた。

posted by 浮雲 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ・短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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